某年7月。宮城県北部の田舎町で農家の次男としてMETAPANが生まれる。
平成9年4月。M高等学校でスキヤキ(Tomo)とMETAPANが出会う。 スキヤキがMETAPANに話しかけた最初の言葉は 「知ってる?さくらでんぶってNASAでも利用されてる宇宙食なんだって。…なんちゃって。でーんぶウソ!」 だった。 平成11年7月。M高等学校の文化祭で、スキヤキ作曲のインストでスキヤキとMETAPANの 「廊下の一番端っこでチャリティーライブ」が行われる。何のチャリティーかは知らずMETAPANが参加したが、 集まったお金はちゃんと寄付されたようだ。決して個人の口座に寄付されたワケではない、と思う。 このユニットは1回きりで終了。 平成13年初夏。スキヤキとMETAPANがバンド活動を再開。活動が軌道に乗るのは年末からになる。 平成14年3月。REFION13の前身ともいえるチェインソーというバンド名で今はなきラオックス仙台店でライブ。 友人知人のみを観客に迎えたライブだったが、一番ノっている客でも、静かに足でリズムを取るのみだった。 METAPANの友人はアクビをしていた。 にもかかわらず、演奏後にアンコールが起きるという摩訶不思議なライブだった。 なお、アンコール曲は用意していなかったので、ボーカルが、 「ご静聴ありがとうございました!」 と頭を下げてステージを後にしたのが印象的だった。 また、アクシデントも多く、当時ベーシストだったスキヤキが演奏中に弦を切り、 METAPANに弦が切れたことを伝えようとしたが、METAPANは「早く次の曲を!」と言っているのだと勘違いし、 弦が切れたまま次の曲に突入したのだった。 さらには、ツインギターのハーモニーでMETAPANが一拍ずれて演奏していたらしい。 バンドはこの一回のライブで活動を終える。 平成14年夏。METAPANが近所のスーパーマーケットで昼間から酔っているおじさんに話かけられる。 平成16年夏。後にREFION13と名乗ることになるバンドが結成される。 メンバーは、ギターをスキヤキとMETAPAN、ベースをメロデス(Hiropon)、ドラムをミックスグルリ(Shin)、 ボーカルをソルトバレー(ソルトレイクシティ)。最初のミーティングでは、当時ボーカルとして呼ばれたソルトバレーが、 「おれ、何のために呼ばれたか良く分かってないんだけど。え、バンドやるの?」 と言っていたような気がする。 平成17年の梅雨の頃。既に、仕事の都合でバンドから身を引いていたソルトバレーを除き、 スキヤキをギターボーカルとして、島村楽器利府イオン店でHOT LINEというライブイベントに出演。 バンド名はパブリックサーバント。 当日、METAPANが遅刻したのにはやむをえない理由があったのに、彼の釈明に耳を傾ける者はいなかった。 同年10月。某音楽雑誌主催のオーディションに出演。凄まじい酷評を得る。 この時からREFION13というバンド名で活動している。 平成18年3月。島村楽器の録れコンに応募。評価は良くなかった記憶があるが、 前年のオーディションで免疫がついていたので大丈夫だった。 同年7月。再びHOT LINEに出演。オーディエンス賞というものが設けられ、 オーディエンスに投票してもらう事になっていたが、見事1票を得る。なお、一番得票が多いバンドでも5票程度。 得票のないバンドもいたのでホッとする。HOT LINEだけに。 なお、バンドメンバーが投票したのでは??という疑惑も浮上したが、そうではなかったようだ。 9月。某楽器メーカー主催のオーディションイベントに出演。オーディションだが、バンドとしてはただ人前で 演奏してみたかっただけ。無料だし、プロの感想ももらえるので嬉しい。 評価は「今どき、この手のバンドは少ないので頑張って下さい。」だった。 遠まわしに「流行らないけど。まぁ頑張って。」と言いたかったのではないと思う。 |